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広島高等裁判所 昭和39年(ネ)18号 判決 1967年1月30日

控訴人・被告 河野正一

訴訟代理人 塚田守男

被控訴人・原告 国

訴訟代理人 山田二郎 外三名

補助参加人 大橋章

補助参加人代理人 竹内俊平

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人指定代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張と証拠関係は、原判決三枚目裏五行目に「大石スエ子」とあるのを「大石スヱ子」と訂正した上、次の一、二、三、四を附加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一、被控訴人指定代理人は、次のように述べた。

(イ)  本件土地は、もともと宅地であり、戦時中一時家庭菜園として利用されたことがあるに過ぎず、自作農創設特別措置法による買収または売渡の対象となるべき農地ではないし、また、本件土地については、買収計画の樹立その他買収処分に関する手続は何等実施されていないのであるから、その買収処分を前提とした本件売渡処分は無効であつて、控訴人は、右の売渡処分によつて本件土地の所有権を取得する筈がない。

(ロ)  時効の援用は、真実の権利関係と永続した事実状態との調和をはかるために設けられた制度であるから、時効の援用権者は、直接時効の利益を享受する者に限られるべく、その援用の相手方も、これと相容れない権利を有する者に限られると解すべきである。しかるに、被控訴人は、本件土地の買収処分および売渡処分の無効を理由に、その売渡処分に基づく登記の抹消を求めているに過ぎず、本件土地の真実の所有権者ではないから、控訴人は、被控訴人を相手方として所有権の取得時効の援用をなすことはできない。

(ハ)  そうでないとしても、控訴人が本件土地の売渡通知書の交付を受けたのは昭和二六年三月二日頃であるが、控訴人は、すでに、昭和二五年以降家族とともに神戸市兵庫区に転出しており、売渡通知書の交付を受けた頃には、もはや、本件土地を占有していなかつたのであるから、本件土地について控訴人主張の取得時効が完成する余地はない。

(ニ)  仮に、控訴人が、本件土地の売渡通知書の交付を受けた昭和二六年三月二日頃、本件土地の自主占有を始めたとしても、本件土地は、田万川町江崎本通りの目抜きの場所に位し、街道に沿う竹垣に囲まれた補助参加人方の家敷地内の一部であつて、売渡当時も一見して宅地であることは明瞭であつた。控訴人は、本件土地の隣接地に居住していたから、本件土地が右のような宅地であることを知つていた。控訴人は、大工で非農家であり、戦時中の食糧不足を補うため、控訴人の母河野トヨが本件土地の管理人立野行之の許可を得て、無償で、本件土地を家庭菜園として利用するようになつたものである。したがつて、控訴人は、本件土地が農地でも小作地でもなく、また、自己が耕地を持たず、農業に精進する見込もないので、農地売渡の相手方となり得ないことは、特に調査をするまでもなく容易に知り得た筈であるのに、その買受の申込をし、被控訴人から売渡通知書の交付を受けたのであるから、控訴人は本件土地の売渡処分が違法であることを知り得べかりしものであつて、その本件土地に対する占有は、その始めに過失があつたものといわなければならない。

したがつて、本件土地について控訴人主張の取得時効が完成する余地はない。

(ホ)  被控訴人は、昭和三四年二月一九日控訴人に対し本件土地の返還および登記抹消を催告し、同日から六カ月以内である同年八月一七日本訴を提起したので、これによつて控訴人等主張の取得時効を中断したものである。

時効の中断は、時効の完成を阻止するものであるから、時効の完成によつて当該権利に消長を来たす者が中断を行い得るのであるが、取得時効について時効の完成により権利に消長を来たす者は、ただ、時効の完成によつて所有権を喪失する前所有者だけに限定すべきいわれはなく、例えば、不実の所有権移転登記を受けている占有継続者に対して登記請求権を有する者も、時効の完成によつて当該登記請求権を喪失し、また、真実の所有者に登記を回復する義務が履行不能に陥り、損害賠償義務を負担しなければならなくなるから、時効の完成によつて直接に権利に消長を来たす者であり、これらの者も当然に時効の完成を中断し得ると解すべきである。

時効の中断をなし得る者の範囲は、時効の援用権者の範囲について、時効の援用をさせる必要があるかどうかで、その範囲を合理的に解しようとされているのと同様に、中断をさせる必要があるかどうかによつてその範囲を決すべきである。

実体的権利関係と符合しない登記抹消請求訴訟の提起により当該登記名義人の取得時効は中断されるのであり、(同旨、大審院昭和一三年五月一一日判決)、また、不動産につき、甲、乙、丙と順次所有権が移転したものとして順次所有権移転登記がなされた場合において、各所有権移転行為が無効であるときは、甲が乙、丙に対して各所有権移転登記の抹消登記請求権を有するほか、乙も、また、丙に対して所有権移転登記の抹消登記請求権を有しているのであり、(同旨、最高裁判所昭和三六年四月二八日第二小法廷判決)、そして、右丙に対する甲、乙の抹消登記請求権は、二つの請求権が競合しているものでなく、同一の請求権であるから、甲或いは乙の登記請求権の行使によつて双方の有する登記請求権が行使された効果を生ずるから、中断行為に関与したとみられる甲、乙双方に対し中断の効力が及ぶものというべきであり、その効力は、甲または乙に相対的にとどまるものではない。

被控訴人は、控訴人の取得時効の完成により、直接に、控訴人の不実の所有権移転登記に対して有する抹消登記請求権を喪失してしまうものであり、また、真実の所有者に対し登記を回復すべき義務を負担しているのに、それが履行不能に陥つてしまうものであるから、被控訴人は、控訴人の取得時効の完成によつて直接に権利を喪失するものであり、時効を中断すべき必要があるから、時効を中断しうるものと解すべきである。そして、本件登記請求権に基づく本訴請求により、控訴人の取得時効は中断を来たしているものというべきである。

(ヘ)  仮に、控訴人が当初は本件土地を占有していたとしても、その後、任意にその占有を中止したものであるから、控訴人主張の取得時効は完成しない。

二、補助参加人代理人は、次のように述べた。

補助参加人は、昭和三三年一二月二二日、山口県知事を相手取つて、山口地方裁判所に、本件土地の買収処分不存在確認請求の訴を提起し、同庁昭和三三年(行)第一〇号事件として係属し、昭和三九年二月一七日本件土地に対する買収処分の存在しないことを確認する旨の判決の言渡がなされ、その後、同判決は確定したが、被控訴人の代行機関たる山口県知事において右の買収処分が存在するものとしてなした控訴人に対する本件土地の売渡処分は、その取消あるまでは一応行政処分としての効力を有する。したがつて、知事は、右売渡処分の取消前に時効中断のため、控訴人に対して、木件土地の所有権移転登記の抹消を求めることができる。

被控訴人としては、補助参加人のために、控訴人の所有権取得登記を抹消し、更に、被控訴人の所有権取得登記も抹消した上、本件土地を回復させる債務を負担しているものであるから、その債務の履行として右の登記の抹消を求めることができ、これによつて時効中断の効果を生ずるものである。

また、知事は、本件売渡処分の取消を前提として、控訴人に対し、本件土地の売渡による所有権移転登記の抹消登記請求権を有する債権者であり、これに対して、控訴人は協力義務を有する債務者であるが、債務者に時効完成によつて本件土地を売渡のなかつた以前の状態に回復しないおそれがある以上、知事は、債権者代位権の行使により保存行為として時効中断ができるものと解する。

以上の主張が理由がないとしても、前記山口地方裁判所昭和三三年(行)第一〇号事件の訴訟手続中において、右事件の被告山口県知事の指定代理人古藤保正は、同被告において控訴人に対し所有権移転登記を抹消するよう交渉し、同人がこれに応じないときは訴訟によつて右登記を抹消させるから、右訴訟事件の進行を暫らく待つて貰いたい旨右事件の原告(補助参加人)代理人に申出でたので、同代理人は右申出を了承し、控訴人に対する交渉を古藤保正に依頼した。その結果昭和三四年二月一九日頃山口県知事の指定代理人たる古藤保正、渡辺信久両主事が控訴人に対し本件土地の所有権移転登記の抹消を催告し、更に本訴が提起されるに至つたのである。したがつて、右古藤、渡辺両名は被控訴人の代行機関たる山口県知事の代理人であると同時に、本件土地の所有者である補助参加人の委任を受けてその代理人として右催告をなし、更に補助参加人のために本訴提起に及んだのであるから、これにより本件土地に対する取得時効は中断されている。

三、控訴代理人は、次のように述べた。

本件土地は、買収当時、買収の対象となるべき農地であり、その買収計画ならびに買収令書の交付は適法になされていたものである。したがつて本件土地の売渡処分は適法であり、これにより控訴人は、本件土地の所有権を取得したのである。

仮に、右売渡処分が無効であるとしても、控訴人は、従前主張のように十年の取得時効の完成によつて本件土地の所有権を取得したものである。

そして、時効の援用は、訴訟上の防禦方法に過ぎず、援用の相手方については法律上何等の制限がないから、控訴人は、被控訴人に対しても、右の取得時効を援用することができるのである。

仮に、控訴人の時効取得の主張が理由がないとしても、被控訴人に本件土地の所有権がない以上、控訴人に対して被控訴人主張の所有権移転登記の抹消登記を求める根拠が明確でないから、本訴請求は失当である。

四、証拠として、被控訴人指定代理人は、甲第一二号証から第一五号証までを提出し、当審における証人立野行之、大石スヱ子、御手洗勇、須ケ牟田兼雄の各証言、ならびに、検証の結果を援用し、乙第二号証のうち鉛筆書きの部分の成立は知らないが、その余の部分の成立は認めると述べ、

控訴代理人は、乙第二号証を提出し、甲第一二号証から第一五号証までの成立を認めると述べた。

理由

原判決添付別紙目録記載の本件土地が、補助参加人の所有であつたこと、被控訴人は、右土地につき、自作農創設特別措置法第三条による買収処分のなされたことを前提とし、同法第一六条により控訴人に対する売渡処分をなしたこと、右土地につき、山口地方法務局須佐出張所昭和二六年六月二〇日受付第八五四号をもつて昭和二六年三月二日付買収ならびに売渡を原因とする所有権移転登記がなされていることは、当事者間に争いがない。

ところで、成立に争いのない甲第一二、第一三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認め得る甲第五号証の一、二当審における証人立野行之の証言、検証の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、本件土地は、田万川町大字江崎の本通りに沿う住宅街にあり、もと補助参加人方の屋敷跡の一部であること、その近所に居住していた控訴人の母河野トヨは、補助参加人が大正一二年頃から夫婦揃つて満洲に渡つて不在中だつたので、右土地の管理人立野行之の了解を得て、昭和一七年頃から昭和二〇年頃控訴人の父が死亡するまでは父、父の死亡後は控訴人に代つて無償で家庭菜園として右土地を利用していたこと、江崎町農地委員会では、本件土地について農地買収計画の樹立はもとより、その公告や縦覧を行つたこともなく、買収令書の交付またはこれに代わる公告をなしたこともなく、被控訴人において本件土地を農地買収した事実がないこと、そして、補助参加人が、昭和三三年一二月二二日、山口県知事を相手取つて、山口地方裁判所に、本件土地の買収処分不存在確認請求の訴を提起し(同庁昭和三三年(行)第一〇号)、昭和三九年二月一七日、本件土地に対する買収処分の存在しないことを確認する旨の判決の言渡がなされ、同判決がその頃確定したこと、山口県知事は昭和三四年四月二日本件土地の売渡処分を取消したことが認められる。そうしてみると、本件土地について、買収処分が存在しない以上、これを前提とした売渡処分はその取消ををまつまでもなく当然無効であり、したがつて、かような売渡処分にもとづいて控訴人が本件土地の所有権を取得するいわれがない。

もつとも、控訴人は、本件土地について一〇年の取得時効を援用するので、この点について検討する。

被控訴人は、自己が本件土地の真実の所有権者ではないから、控訴人が所有権の取得時効を援用する相手方として適格がないと主張する。なるほど、前記のとおり本件土地の買収処分が存在しないとすれば、もともと、被控訴人は、本件土地の所有権を収得していないのであるけれども、右の買収処分を前提とした売渡処分が無効であることにより、被控訴人は、真実の所有者の権利を原状に回復せしめるため、控訴人に対して、本件土地の返還およびその登記の抹消を求める権利があるといわねばならない。(参照、最高裁判所昭和三二年(オ)第一二〇八号同三六年四月二八日第二小法廷判決)しかるに、控訴人は、本件土地の取得時効の完成によつて被控訴人に対する右の義務を免れ得るわけであるから、直接右取得時効の利益を受ける者として、被控訴人に対しても、右時効の援用をなすことができるものと解するのを相当とする。成立に争いのない乙第一号証、原審における証人山本竜の証言、控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人が、本件土地について、昭和二三年一二月三一日を売渡の時期と定めた昭和二四年三月五日発行の売渡通知書の交付を受けたのは、おそくとも昭和二四年三月中であること、そして、控訴人は、昭和二五年神戸に転出後昭和二八年妻を神戸に呼び寄せるまでは母と妻に、その後は母に委託して本件土地を利用し、所有の意思をもつて平穏且つ公然にその占有を継続していることを認めることができ、当審証人大石スヱ子の証言によつても右の認定を動かすに足りない。そして、控訴人が右土地の自主占有を始めるについて、たとえ、本件土地の売渡処分に被控訴人主張のような瑕疵があつて、右の処分が無効であるとしても、苟くも国が法律の規定にしたがつてなした行政処分である以上、控訴人が右土地が右売渡処分によつて自己の所有に帰したと信じたことには過失はなかつたものといわねばならない。(参照、最高裁判所昭和四〇年(オ)第一四五二号同四一年九月三〇日第二小法廷判決)

次に、被控訴人は、控訴人主張の取得時効の中断を主張するのでその点について判断する。

成立に争いのない甲第三号証、原審証人渡辺信久の証言によれば、山口県農地課職員渡辺信久が、被控訴人の代理人として、昭和三四年二月中おそくとも同月二一日までには、控訴人の代理人たる母河野トヨに対して、本件土地の売渡処分の無効であることを告げてその所有権移転登記の抹消を催告したことを認めることができ、その後、六カ月以内である昭和三四年八月一七日本訴が提起されたことは、本件記録上明らかである。

元来、取得時効は、取得者側の占有を基礎とし、反対の事情なくして継続する事実上の状態を尊重しようとする制度であり、或る事実上の状態の継続中、その事実上の状態と相容れない事情が発生するときは、もはや、その事実上の状態を尊重する理由を失うことになるから、すでに進行した時効期間の効力を失わしめるのが、いわゆる時効の中断である。本件の場合、本件土地の買収処分が存在せず、その結果その売渡処分が当然無効である以上、本件土地の所有権は依然として補助参加人に属しているのであるが、形式上は右所有権は補助参加人から被控訴人に、更に被控訴人から控訴人に移転し、その旨の所有権移転登記がなされているのである。したがつて、被控訴人は、補助参加人に対し控訴人に対する所有権移転登記を抹消し、補助参加人の登記名義を回復すべき義務を負うている。一方、控訴人が本件土地につき取得時効の基礎たる自主占有を始めるに至つたのは、被控訴人から本件土地の売渡を受けたためであつて、それまでは同人は使用貸借により本件土地を耕作していた他主占有者であつたのである。すなわち、控訴人は本件土地の売渡処分が有効であり、それにより被控訴人から本件土地の所有権を取得したものと信じて本件土地の自主占有を始めたものである。したがつて、たとえ実際には被控訴人は本件土地の所有権を取得しなかつたとしても、本件土地の取得時効の基礎たる事実状態に関する限り、被控訴人は控訴人に対する関係において本件土地の売渡人として所有者と同一の立場にあるものである。ところで、本件土地の売渡処分が無効である以上、控訴人が被控訴人に対し、売渡処分の無かつた以前の状態を回復すべき義務を負うものであることは明らかである。すなわち、控訴人は、被控訴人より取得した(と信じている)本件土地の所有権を被控訴人に返還し、且つ所有権取得登記を抹消すべき義務を負うているのである。したがつて、右義務の履行を求めて、被控訴人が控訴人に対し本件土地の所有権取得登記の抹消を請求した以上、控訴人はこれに応ずべき義務があるのであるから、同人は右登記を抹消すべきものであり、それにより同人が本件土地の所有権を有しないことが明らかになる結果同人の本件土地に対する占有は、右売渡処分前の状態である他主占有に復帰すべきはずのものであつて、被控訴人の右請求により控訴人の取得時効の基礎たる事実状態は破壊されたものといわねばならぬ。被控訴人は控訴人に対し本件土地の返還及び所有権取得登記の抹消を請求する権利を有するものであるから、被控訴人のなした前記催告及び本訴の提起により、本件土地に対する控訴人の取得時効が中断されたことは明らかである。(参照、大審院昭和一二年(オ)第二四二九号同一三年五月一一日判決)

そうしてみると、控訴人の取得時効の抗弁は理由がなく、控訴人は、本件土地について所有権を取得していないことになるから、本件土地についてすでになされた前記所有権移転登記は、いずれも実体に符合しない無効のものであるといわなければならない。被控訴人が控訴人に対し本件土地の前記所有権移転登記の抹消登記請求権を有することは、前記のとおりであるから、控訴人に対して、右抹消登記手続を求める本訴請求は、理由のあることが明らかであり、認容すべきものである。これと同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がない。

よつて、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本冬樹 裁判官 辻川利正 裁判官 浜田治)

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